未来のおしゃべり会

【7月19日 おしゃべり会・第1回】安森健さん×柿木原政広さん×川島蓉子

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未来のおしゃべり会
●ゲスト:安森 健さん(隠居・元 株式会社ロフト 代表取締役社長)
柿木原 政広さん(株式会社10 代表・アートディレクター)
●テーマ:みらいの小売業・みらいのデザイン
●開催日:2016年7月19日(火)

ifs未来研究所の所長・川島蓉子が、「この人は絶対、面白そうだからお話を聞いてみたい!」と思う人を招いてトークをする「おしゃべり会」。
今回のゲストは、西武百貨店からロフト、イオングループなどで、新しい業態を築いてきた安森健さんと、未来研の参謀で、小売業はじめ数々の仕事を手掛けているアートディレクターの柿木原政広さん。
インターネット全盛の時代に、リアルな店舗で買い物をするというのはどういうことなのでしょうか。また、未来に求められるデザインとは。

★ ★ ★
第1回:本質をデザインすること、小売店の改革をすること。
 
川島蓉子(以下、川島):最初に自己紹介をお願いしたいと思います。
 
柿木原政広(以下、柿木原): アートディレクターの仕事をしています。普段は広告やプランニングみたいな仕事が多いですが、以前手がけた「富士中央幼稚園」のように、デザインするだけでなく、アートディレクションの一番の中軸みたいな形で仕事をしたこともあります。それは大切な仕事になっていますね。
 
デザインって、カッコいいイメージがあるけれど、自分のやっているものはあまりカッコいいとは言えません。特に「富士中央幼稚園」のクマのマークは、かわいらし過ぎるのが自分でもちょっと不安になって。
前にいた会社のボス(株式会社ドラフト 宮田識さん)に、出来上がったロゴを見てもらったんです。すると「本質からズレていなければ大丈夫だよ」と言われて。それから「本質」について考え始めたのです。
 
そして、幼稚園のデザインをするにあたって、最初に大事なのは、「子どもが笑うこと」だと思い、子どもが絶対に笑う状況ってどうやって生まれるんだろうと考えたときに、お母さんが8〜9割を占めるだろうと思った。お母さんと離れるのが嫌で泣くとか、大好きなお母さんに会えたから笑うとか。
 
あれこれ考えた結果、幼稚園のデザインをする上での本質って「お母さんを見て子どもが安心して笑う」ことなのだと。そう思ったときに、いままでカッコいいと思っていた広告に疑問を感じるようになったのです。
本質のコミュニケーションがちゃんとできているのかな、と。
 
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川島: つまり、何をどう伝えるのかが大切だということがわかった。
 
柿木原: はい。その後もデザインの仕事をする時には、本質を意識しながらやってきました。自分の自己紹介というか、考えているデザインはそういうことです。
 
川島: いまおっしゃったのは、それ以来、一貫して柿木原さんが考えて続けてきた視点みたいなものですね。
 
柿木原: そうですね。なんでこういう風に考えるようになったかというと、「Singing AEON」(2004年から行っているブランディング)のときも、規模は大きいけれど同じ感覚でやろうと思ったからなんです。小さい仕事でやった感覚を、大きな企業の仕事でできたら幸せだなあ、と思ったので。
 
川島: 今のエピソードは初めて聞いたんですけれど、柿さん(柿木原さんのこと。以後同)と仕事をしてきて思うのは、どんな仕事でも丁寧で質が高いこと。この前は、「LUMINE 0(ルミネゼロ)」というルミネの新しい文化施設のロゴを、動画も含めて一緒に作ったんですが、とても楽しい仕事でした。
 
では、今日のメインゲストの安森さんからも自己紹介を。
 
安森健(以下、安森): 柿さんの仕事は形になるからいいですが、残念ながら私の仕事というのは形にならないので。社名が変わるごとに、忘れられていく。
 
川島: 形になっていますし、お店も残っているじゃないですか。
 
安森: そんなこと言ってもらうと、こそばゆくて落ち着かない。僕の場合は、最初は人がロフトの「前」社長と言う。2代目になると「元」と言う。3代目になると、「なんなのかなあ」と、そういう役なので。
 
私のいろんな履歴から言うとですね、たぶんこの中で私は一番年寄り、1944年、昭和19年、終戦の前の年に生まれたわけで。そして大学卒業後、西武百貨店に入社しました。百貨店は商社と一緒で、配属された部署でだいたいの出世のスピードが決まるんです。
 
私の場合は、配属先が実用品というセクションだったので、新しい店ができても、残念ながら、なかなか店が増えていかない。同期の連中が、だいたい22歳で入って25歳で係長になっている時に、私はずっとヒラの社員のままで、28歳で係長になりました。
 
百貨店は、はっきりとヒエラルキーがある。私のハンコは小判型で、係長になると丸型で、課長になると二重丸、部長になると三重丸。印鑑の大きさが違うんですよ、クソッタレと思った(笑)
係長の後は課長が32歳、そこから先がものすごい速さで……まあ、運が良かったんです。
ですから、私がよく言うのは、サラリーマンというのは運です。上司の引きと運。能力なんてそんなに大きく変わらない。
 
次に、筑波店の店長になりました。それは1985年、昭和60年、バブルに入りかけた頃です。当時はみんな有楽町西武に力を入れていて、私が担当していた筑波は誰もやってくれない。
そのときに、サラリーマンの悲哀を、しみじみと感じました。出世街道というのは、常に日の当たるところを歩かなきゃいけないんだなあと。
 
ところが何を間違えたか、2年後に有楽町に行けと言われた。そのときの有楽町店は、大赤字でしたから。筑波店は3年目で黒字だったけど。
 
川島: 筑波店を黒字にした実績を買われて、ということですか? 大抜擢ですね。
 
安森: いやいや、大抜擢というより、人身御供みたいな話ですよ。有楽町の次は、「ロフトをやれ」と。各店舗からの報告では、事業部では赤字。でも株式会社ロフトにすると言った途端に、「あの黒字事業は手放せません」という話になって。
だから、僕は二度サラリーマンの裏切りに遭っているわけですね。一度目の裏切りは筑波店。誰もやりたがらない店舗を任された。二度目はロフトです。
 
川島: 裏切られたとき、どうするんですか?
 
安森: 「わかった」と言うしかない。だってしょうがないでしょ。それが、僕が経営者になった時のスタート。
従って、「部下といえども人は信用するな」というのが、ずっと僕の信念だった。
 
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川島: あと、名刺に書かれている“隠居”という立場について語っていただいてもいいですか?
 
安森: ひとつはね、長年サラリーマンをやってきて、肩書が無くなって、急に寂しくなったから。新入社員の5年間だけが、肩書が無かった時代。あとは全部、係長、課長、部長…店長、代表取締役社長、顧問、と必ず肩書があったわけ。だから何かないかな、と思って。2文字で。
 
柿木原: アイデアマンですよね。そこで“隠居”って名刺に入れよう、というのが面白い。
 
川島: “隠居”って、フッと思いついたんですか?
 
安森: そうです。ひとつは、さっき言ったように寂しいから。もうひとつは、これまでずっと組織にいて、言いたいことのだいたい5割くらいしか喋れなかったから。
 
川島: 社長って、言いたいこと言っているわけじゃないんですか?
 
安森: もう全然、言っていませんよ。
 
川島: 言いたいことを我慢しているわけですね。
 
安森: そりゃそうでしょう。例えば、誰かが企画書を持って来るでしょ。通したくて持って来るわけだから、そこには絶対成功するウソがあるわけ。
 
川島: どうしてですか?
 
安森: だって、自分がずっとそうやって書いてきたから(笑)
どうしてもやりたい企画を上司のところに持っていくときには、成功の確率が3割くらいだったとしても、6割とか、倍くらいのことはオーバーに言うじゃない。そんなものばかり見てりゃさ。
 
川島: 我慢した5割はどうするんですか?
 
安森: そりゃ、しょうがないから砂浜に穴掘って、バカヤロー!って(笑)
だから、柿さんみたいな正直な人と付き合えるようになってよかったなあと。
 
柿木原: 怖いな(笑)
 
川島: ついでに聞きますが、ちやほやされるってどうですか?
 
安森: あれはバカになるね。自分の例でいうと、僕は寂しがり屋だから、社長になっても社長室というのを設けなかった。でも、秘書が付く、車が付く、後は何も考えず、やっていることといえば会議だけ。そして、みんながちやほやしてくれる。ホントに、これはバカになるよね。
 
川島: 嬉しいとは感じるんですか?
 
安森: いや、嬉しいよ(笑)。
 
川島: 嫌なこと言う人が、だんだん来なくなりますよね。
 
安森: 嫌なことを言う人はもちろん、最初のうちは大事にする。でもね、そのうちに、自分がやっていることが正しいかどうかの判断がつかなくなってくる。特に会社が大きくなって、300億くらいの会社が1000億とかになると、自分がやっていることの自信がない。そうすると、外からも内からも、「いやあ、安森さんは本当によくやっている」と言われると、嬉しくなっちゃう。
 
川島: その時の判断は、今振り返ると、ちょっと間違っていたとか?
 
安森: うん…一時期ね、会社に23億の損失を与えたこともある。それは、新宿ロフトを撤退するための費用と、それまでにかかった累積の赤字。もう自分で決断しなきゃならない。
それまでは、みんな口を揃えて「さすが、新宿の一等地にお店を出すなんてすごい」とか言っていたのに、赤字が増えて撤退という段になると「だから言ったのに、社長はホントに…」って。
 
川島: 手のひらを返したように。
 
安森: 伊勢丹新宿本店の前にある建物だったんだけど、あれは無理だったよな。だってお客様から「すみません。新宿ロフトに行きたいんですが、どこにあるんですか?」と問い合わせがきて、「どこにいらっしゃるんですか?」と聞くと「伊勢丹の前です」と。
あのひと言で、僕は撤退を決めたね。それで、なぜ失敗したかって考えるわけ。それはやっぱり、驕りだよね。
 
川島: 何に対する驕りですか?
 
安森: ブランドもそうだし、あらゆることが順調に行っていたから、やりゃあできると思ってしまう。今考えたら、あの場所で成功するわけがないよね。社長ってバカだっていう証拠だよね。
 
川島: 出店の決断も、それを止めるという決断も、社長の責任。
 
安森: 出店の決断というのは、そんなに難しくない。新宿ロフトのときだけだけれども、僕は止めるという決断は、やっぱり誰の責任にもできなかったね。
 
川島: 社長にしかできない。
 
安森: うん。退店の決断は、他の者に任せておけない。責任は全部自分で負わなきゃいけないから、会社を辞めることも考えた。
 
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川島: その後、安森さんが柿さんと一緒に始めた仕事がイオンの新しい業態「R.O.U(アール・オー・ユー)」。
とても面白いと思ったのは、「仕入れる人が売るという考えかたを、イオンという巨大組織の中で実現させたい」とおっしゃっていたことです。
 
安森: 僕は、残念ながらこの基本的な計画は失敗したと思っているの。スーパーマーケットの人たちは、売る事には素人なんですよ。
 
川島: なんの素人ですか?
 
安森: なんの、って全て(笑)
自分で仕入れて自分で売りきるという思想はわかるんだけれど、行動の仕方…この商品をいくらで棚に卸して、いくらで売るということについての経験が無いんですよね。仕入れは本部の仕事、店舗は品出し機能分化の構造。
 
川島: これまでに仕入れた人が売るという経験をされたことは?
 
安森: 僕の、一番尊敬する人だけれども、堤(清二)さんの百貨店経営の中で、ショップマスターという制度があって。「おいしい生活」(※1982〜83年に用いられた西武百貨店のキャッチコピー)と同じ時期かな。
 
川島: 仕入れたものを売りきるのが仕事の基本でもあり、それを始めたのが西武百貨店だとおっしゃいましたが、今、百貨店もあまりやっていないと思います。
 
安森: 百貨店に入った人間が優秀だと思うでしょう? だけど、問屋にホイホイして、発注から販売まで全部問屋の手先。僕はそう思う。やっぱり百貨店がおかしくなるのはそこですよね。もし百貨店の人がいたら、よ~く反省してもらいたいんだけれどね。
 
唯一僕が知っている中で言ったら、20年前から10年くらい前までの伊勢丹新宿本店。あれだけはすごかった。当時の伊勢丹は完全にサイズにこだわった。店にどういうサイズの品揃えをしたらお客さんに喜ばれるかということがわかっていた。
 
その前に西武百貨店がやっていた、ショップマスター制度もよかった。それまで販売というのは部長、課長、係長、一般の女の子という縦のヒエラルキーが強かったんです。それに対して横軸を通して商店街を作ろう、というのがもともとの考えだった。
 
川島: それはデパートならではの考え方ですね。面白いし、斬新です。
 
安森: いや、斬新というよりも組織を壊しにかかってるよね(笑)
 
川島: もしかすると今の時代は、また組織を壊さなければならない時代になったのでは?

  
第2回▶▶ 縦割りの組織は、自ら崩壊し変わっていく

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